千座置戸
 
 
モモ, ミヒャエル・エンデ作, 大島かおり訳

進化生物学の素地にあふれた児童文学ってなんか嫌。案の定終盤にかけて芸術至上主義が顔を出してうんざり。(真に美しくて大切なのは音楽よ!みたいなの)

と思ったけど、最初予感したより芸術至上主義に凝ってなく、むしろものの哀れのメタファーとしか音楽は使われていない。年を取り汚れていたのは私の心なのだろうか・・・。

皮肉は相手に伝われば自分が損をし、伝わらなければ自分がイラッとする。知らんぷりされても、伝わらないフリをされても同じこと。皮肉なんていうものは実生活で使うようなものではないのか?小説の中で、全知全能の語り手が作中の人物に対して行うものというだけなのか?

なので少し反省して、隣人愛に満ちた日々を送っていたのだが、ふと振り返ってみると「失礼な公理系から出発すると侮辱的意味合いになる社交辞令」を多用している自分に気づいたのであった。

初恋の子がプロレスラーと結婚する夢を見た.そのことをtwitterで知った僕は,おめでとうとリプを飛ばすのだった.「おめでとう!!けれど僕にはお金がないので,お祝いを差し上げることができません.」

なんか今日は一日体調が良くない.

リビドーを表現する教育と手段があることに感謝している。けれど肝心の、あと一歩の勇気が無いのだ。何もかもが代償行為に終わり、日々が過ぎ行く。